確かによく耳にする。
「慚愧の念に堪えない」と。
意味はなんとなくわかる。
後悔してます、申し訳ない、的な感じだ。
しかし一体全体「慚愧」とは何なのか。
そう問われたとき、心臓の鼓動はわずかに高鳴る。
それは恋の始まり、ではなく「知らねーよ」という焦り。
そこで、考えてみる。慚愧とは何か、と。
まず思いつくのが、ザンギエフだ。
スクリューパイルドライバー。出ないで意味なくその場ジャンプ暴発。
そんなことはどうでもいい。どうせ違うし。
次に思いつくのは、鳥の唐揚げだ。それはザンギ。
ちなみに鳥の唐揚げは北海道では釧路市の「鳥松」が発祥の地と言われていて
その店の主人が中国語で鳥の唐揚げを意味する言葉をザーギー(炸鶏)と認識していて
その間に「運がつくように」ウンを入れた、という事なのだとWikipediaさんが言ってた
それじゃあ正式にはザンギというよりザーウンギーだな。超どうでもいい。
で、結局慚愧って何よということだが、実は上院のことだ。慚愧院議会。つまんない。
そろそろ飽きたので答えに。
大部分の方は「慚愧」を二文字で一つの意味を表すと思っていますが、実は「慚」は自己に対する気持ち、「愧」は他者に対する気持ちを指しています。ですから「慚愧」とは自分自身が恥ずかしいと感じること、他者に対して自分のことを恥ずかしいと感じることを意味しています。
(中略)
簡単に言えば、「慚」は常に向上心と善に向かう気持ちがあり、悪い行いをしないということで、「愧」は常に自己を反省し、他者に迷惑をかけることをしないということです。これに反する者は「無慚無愧」となります。
しまった。ザンギエフじゃなかった。
自己の向上心と他人へ迷惑をかけないという気持ちから、悪い行いをしないということだった。
多分半年後には、この記事を書いたことすら忘れていると思う。
ま、それもよかろう。