「勝負は下駄を履くまでわからない」
謎である。
まず、なぜ下駄を履くと勝負がわかるのかが謎である。
「下駄を履くまでわからない」から考えると、
勝負がわからなかった人(仮に田辺氏と置く)が、
下駄を履いた瞬間に勝負を読み切ることができることになる。
田辺氏は、下駄を履くことによってどのようなインスピレーションを得たのか。 今日はこのミステリーに挑んでみようと思う。
Case 1
田辺は、因縁のライバル高梨と地区予選大会決勝で顔を合わせていた。
実力は拮抗している二人。過去の対決もほぼ五分。
しかし最後の対戦になるであろう今大会、田辺は今度こそ二人の力のバランスを崩し、
勝負の行方を決定づけたかった。
勝負の前の緊張に包まれた雰囲気の中、田辺は大きく膨らんだ自らのスポーツバッグから、
ゆっくりと下駄を取り出し、悠然と足を差し入れ、立ち上がった。
周囲はどよめきに包まれた。
田辺の奴、どういうつもりだ・・・
一体何を考えているんだ・・・
高梨氏も困惑を隠せない。
「おい・・・田辺。勝負を捨てたのか。」
田辺はニヤリと笑って答える。
「今日こそ勝負の行方をはっきりさせてやるよ・・・。
勝負は下駄を履くまでわからない、ってやつさ・・・」
ここは陸上競技場。
田辺は陸上短距離100m決勝のスタートラインに着き、スタートで転んだ。
「勝負は下駄を履くまでわからない」 Case 1 -Fin-
Case 2
田辺は、自らを抑えつけるように、細く長く息を吐いた。
田辺と高梨は、これまでも何度となく名勝負を繰り広げてきた。 アイツとだからこそ、熱くなれる。 田辺にとっては、高梨とはまさにそんな存在だった。
しかし、今日田辺はある決意を胸に秘めていた。 それは、今日で全てを終わらせるという決意である。
田辺は、足の親指と人差し指で勝負下駄の鼻緒をつかんだ(鼻緒が紅白)。
これだ。これが一番足に合う。田辺はほくそ笑んだ。
今まで下駄を履かなかったのは、高梨という好敵手を心から尊敬していたからに他ならない。
しかし今日は、尊敬しているからこそ、下駄を履くのだ。
下駄を履いた田辺は、その足技の破壊力が、数倍、いや数十倍にも増す。 例えるなら、角に刃物を巻き付けた猛牛。 猛牛は獲物を目指してゆっくりと歩みを進めて行く。
田辺は前蹴りを放ち、スウェーバックする高梨。 その瞬間田辺は足指の力を緩め、下駄を足から滑らせた。 下駄は空を走り、高梨の顎を砕いた。
田辺はつぶやいた。
「勝負は俺が下駄を履いた瞬間に決まっていたんだよ・・・」
「勝負は下駄を履くまでわからない」 Case 2 -Fin-
いや、どちらも続きが読みたくなりますね。書かないですけど。
さてと。答えはと・・・
勝負は下駄を履くまで分らないの由来は? - Yahoo!知恵袋
将棋、もしくは碁由来の言葉です。勝負の席から下駄はいて帰っちゃったら、勝負は確定してしまうけど。それまでは、お互いどんな手を考え付くか分からない。負けたと思って帰ろうと思い下駄を履きかけたけど、いい手を思いついた。逆に勝ったと思って、帰ろうとして下駄を履きかけたら、相手が反撃のいい手を考え付いて呼び止められた。というスチュエーションです。
ほほう。そういう説もあるようですな。
しかしどの説を信じるかは個人の自由ですから、私の提唱した説がまちがっているとかそういう話ではありませんからね。
人の数だけ真実があるとね。(←いつまでも下駄を履かないあきらめが悪い人)