昨日書いたことについて、意見をいただいた。
返信も含めて引用してしまおう。
>名古屋でどんな方策を使って住民にごみの分別をさせているのかは
>知りませんが、もし条例で制定していたら、ハルさんの言う「法律や
>社会制度」であり、規模が大きなことじゃないのかな、と。
>どんな方策か知りませんが、大規模に行っているという点では
>「環境問題に対する意識を持たない人をも巻き込む方法」では
>ないですか?
思いついたままの書きなぐりで、練って考えてないのでそう読めますねー(笑) ただ「規模」は施行される範囲の空間的な規模ではなく、 ある方法と違う方法をとった場合の影響の規模の違い、 ということです。
名古屋の分別は、ごみを8種類ぐらいに分別させるんですよ。
と思って今調べたら11種類でした。
可燃ごみ、紙製容器包装、不燃ごみ、プラスチック製容器包装、
紙パック、空きビン、空き缶、スプレー缶、ペットボトル、資源ごみ、
粗大ごみ。
普通は「燃える」「燃えない」だけだったものが。
今はウチの方でも「可燃」「不燃」
「リサイクル可能資源(新聞紙、びん、缶)」ですが。
で、住民はやってられないわけです。 特にまじめな人ほど「これでいいんだろうか」と悩んでしまう。 新聞には耐えられなくて引っ越した人の話が載ってました。 それは極端にしても、完全に機能するかどうかは非常に疑わしい。 他にも、ペットボトルのリサイクルは構造的にも赤字なんですが、 自治体にかかる負担が大きいんです。自治体にはなんの得もないのに 法律だからやらざるを得ない。
要するに、末端の人間に多くの労力を期待するという構造が 良くないんだということです。 こういう末端にしわ寄せが来る形よりも、製品を作る側がリサイクルを 意識したものにしたり、製造元がリサイクルに責任を持つようにしないと 結局破綻を来すのではないか、と。
混ざったものを分別するということはとても労力がかかる。 混ざる前の段階で手を打つべきだということです。 名古屋のは結局「住民の意識」に頼っているわけでしょう。 別の方策をとればもっと大きい影響を持たせることができるのではないのでしょうか。
そんな話でした。