補わない

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 本屋で「チーズはどこへ消えたか?」を立ち読み。 2ページごとに出てくる大きなチーズだけ読み飛ばす。

 そもそもチーズチーズと言っているから「チーズがない」とか言うわけで、 むしろチーズに対する欲を消すという方向に考えるのが「禅-mind」だ、 などと考えたりする。

 しかし一番印象深かったことは本の内容ではなく、 隣に「バターはどこへ溶けたか?」という本が違う出版社から出ていたことだった。 もちろん 装丁そっくり。 たくましいなぁ。

 話は変わって、テレビで長嶋へのインタビューをやってるのを見て。 今日の試合で長嶋は川上を抜いて、巨人歴代の監督の中で試合数が1位になったらしい。 そのことについて語る長嶋。 例によって、話したことがそのまま画面下にテロップが出る。

「われわれは来る日も来る日もゲームを消化しなくちゃいけないわけですしね。 節目としては、(意識)しますけどね。」

ちょっと待て。 その(意識)というのはなんだ。 どうやら番組側が、勝手に長嶋の意を汲んで補ったようだ。 しかし長嶋が「節目として、した」ことは、本当に「意識」なのだろうか。

例えば
「節目としては、(興奮) しますけどね。」
かもしれないし、もしかすると
「節目としては、(東京ドームを爆破) しますけどね。」
という犯行声明かもしれないということだ。 こんな大事なメッセージが隠されていても、 勝手にわかった気になっていては何も読み取ることはできない。 これは危険なことだと言わざるを得ないだろう。